自伝2話/27 出生~幼少期

「はじめに」  
 私はモラハラの被害者ですが、発達障害(神経発達症)があり自閉症スペクトラムの受動型で気を使い過ぎる傾向があります。
 発達障害は発達の凹凸とも言われていていろんな性格の人がいます。
 私とは真逆の人もいて、加害者になってしまう人もいるでしょうし、被害者になってしまうことも、どちらにもならずに理想的な関係を築ける人もたくさんいるでしょう。


 受け身な発達障害持ちが、モラハラの体質を持つ人に出会った1つの例と思ってもらえれば幸いです。

 

1977年1月に生まれる。

 産まれた時、呼吸をするのが遅くて死産だと思われたが、そのほかは問題なく元気に育つ。

 

 2歳の時何気なく言ったであろう「あのおじさん、おとーさんになってくれる(と)、うれしい」という言葉を聞いた母が

「子供には血の繋がったお父さんと一緒にいないといけない」と思っていたけど、別に『血の繋がった親』じゃなくてもいいんだ!※

 と、気がついて母が離婚。

 再婚は考えていなかったらしいけど、この話を聞いた「あのおじさん」が私のために猛アタックして再婚。

 そんなことと知らず、私は大喜びしていた。

 

 父の両親と私たち3人家族と5人で住むことになる。

 と、思ったが、二日目に叔父家族が来てしばらく祖父母、叔父家族、と私たち3家族で住んでいたらしいが、すぐに叔父たちはいなくなった。(母の証言による)

 

従妹の話

 叔母は「近くに住んでいたら(私の母)に(いとこ)を迎えに行ってもらえたのに、家が遠いから私が迎えに行かなきゃいけない」と言って、何かと私の母に世話を押し付けてくる。

 叔母は母に子守りをさせたかったのか、いとこが1歳頃から木~日曜日まで保育園があるとき以外は一緒に生活していた。

 叔母も祖父母も口では「可愛い」と言っているのに世話となると母に押し付けてくる。その状況で拒否をすればいとこはネグレクトの状態になってしまうので、母は私と弟、そしていとこ、3人の世話をしながらパートに家事に追われていた。

 

※『血の繋がった親』じゃなくてもいい

 私は昔から「血の繋がり」って、ただDNAが近いだけで、「一緒にいなきゃいけない」とは思っていません。母が20歳過ぎるまで気づかなかったことの方が驚きです。

 動物番組を見ていると親が死んでしまった子供を他の親が世話をするシーンが出てきたり、犬が猫の世話をしたりするのを見ていたので「世話をしてくれるのが親であって生んだから親になれるものではない」と思います。

 もっと言えば「その子を想う」が「親心」であって、生き別れの親や地域で気にかけてくれるおじさんおばさんだって大切にしてくれる人は親のようなもんだと思っています。

 

 親だって人間です。間違うこともあれば、間違ったことに気が付いて間違いを正すこともできます。今は愛せなくても、もしかしたら愛せる時が来るかもしれません。「私は子どもを愛せない」と思っても「子育てをする」ことが「親」なのだから、「可愛い」思う必要はありません。子どもの成長を願い、幸せを願い、未来の社会人を育てましょ。

 たとえ子どもの「心」を殺してしまうようなことをしてしまっても、病んでしまったその心を治療して、心から子どもに謝ってもらいたいと思います。