3話/27 両親の生立ち(毒祖母×2)

 私は両親に大切にされていましたが、両親の親=祖父母は癖が強い人で両親とも苦労してます。父はあまり会話しないので、ほとんど母から聞いていて、私が40歳過ぎてから重い話をよく聞くようになりました。

 父方の祖母はモラハラ加害者で虐待をしていて、母方の祖母は発達障害の傾向のある毒親です。

 

 父は3人兄弟の末っ子として生まれる。兄2人大切にされていて、父は差別されていた。近くに父の祖母=曾祖母と祖父の兄弟が歩いていける距離にいたので、父が小学生の時、近くにある本家に帰っていた。祖父は親戚の跡取りとして養子に出されていためか本家を嫌っていたので、よけいにきつく当たっていたのかもしれない。

 大人になってからも父の兄たちが祖父母の家に行くたびに小遣いをあげていて父にはそういうことをしないという差別をしていた。

 両親が再婚した時、祖父母から実家に入るように言われたが、同居した次の日から叔父夫婦が一緒に住みだして3世帯になった。家の家事は全て私の母がするものだと圧力をかけてきたようですが、世間体があり、少ししたら市内のアパートに引っ越した。(最初から一時的な同居だったのかもしれない)

 その後も月10万円祖父母に渡さないといけなかったり、盆正月の外食(酒)を含む食事代も父が払わなければならず、祖父が「父のために(祖父が)はなれ(家)を作る」と言い出して断っても聞いてもらえず近所中に言いふらされた後、ローンを組む時 銀行に呼び出されて「祖父が建てる」と言った「家のローン」をなぜか父が全額払わされることになった。

 その離れ(家)に暮らすようになると、父が帰る前に「もう母屋の鍵を閉めてもいいか」と言い、父が帰る前に(外から開けられないタイプの)鍵を閉めて、お風呂に入れさせないという嫌がらせを長期にしてきたそうです。(離れにはお風呂がついていない)

 私が小学校を卒業する頃、背負わされた借金の返済めどがついたから近くのアパートに引っ越しした。

 父方の祖父母は亡くなってもういないが、非虐待児の後遺症は今も残っている。

 具体的に後遺症というのは一言で言うとエスケープゴート。自分を犠牲にしてだれも住んでいない祖父母の家をリフォームしようとしたり、人に気を使い過ぎるので、人ごみの中にいることが出来なかったりする。店の行列なんてもってのほか、入院する時も個室でないと居られない。

 

 母は2人兄妹の末っ子として生まれる。母方の祖父母も「跡取り」というものを特別視していて、農家の仕事の手伝いや家事の手伝いは「妹がやるもの」として、学校が終われば家の手伝いをし、兄が手伝いをしているのを見たことが無く、母が手伝いをしている間何をしているのかすら知らなかった。

 高校に進学したかったが農家を始めたばかりで家が貧しく、強制的に就職させられる。中卒では仕事を探すのが大変で勉強はしたかったので色々な資格を取る。が、「どんなに頑張っても勉強しても、仕事を探したり働いていると「中卒なんでしょ」って言われる」とよく言っていた。

 母も非虐待児の後遺症はある。親たち(両家の祖父母)に対して自分を犠牲にして尽くし過ぎてしまう。そして、(良いことだけど)姪たちを見捨てられずに世話をしてしまう。本人(母)は無意識に尽くし過ぎてしまう癖は自覚していて、40歳から自分の趣味を持ち「自分のため」の時間を持つようにして共依存になることを防いでいる。

 

 時代的背景もあり「長男跡取りではなかった」私の両親は虐待に遭ってしまったが、「虐待の連鎖はしない」という強い意志で育ててくれた。祖父母が両親に虐待をする所を見ることで私も被虐待児にはなるが、『助けてくれる人』がいるのといないのとでは雲泥の差がある。

 だから私は「モラハラ加害者になつかしさを感じる」という変な癖はあるが、モラハラに出会わなければ関わらなければ、全く問題はない。

 両親には本当に感謝しているし、被虐待児にはぜひカウンセリングを受けて自分のために生きられるようになってほしい。

(人に尽くし過ぎるのも、自分や他人を傷つけてしまうのも認知の歪み、防衛機制というもので自力で治すのは大変難しいです。相性の合うカウンセラーさんを見つけてサポートしてもらうのをお勧めします。)

 

(よりそいホットラインやいのちの電話など無料の相談口、メールやLINEの相談もありますが、

個人的に発達障害カウンセラーかずきさん発案の

「ここかる」というカウンセリングサービスを応援してます。

かずきさんにカウンセリングしてもらうことはできませんが、かずきさんが厳選した

カウンセラーさんに(2023.12月時点)25分×7回分=6,980円からカウンセリングを受けられます。)