自伝9話/27 高校生(工業高校へ進学)

 コミュニケーションが極端に苦手で女子トークが出来ないので、高校は実業系の高校を目指した。

 中二から農業に興味があったが、祖父母の農業を子供の時から手伝っていた母が「農業で食べていけるわけがない」と猛反対。更に「レベルの低い高校に行こうとしている」と勘違いされて、(母が中学生の時)高校に行くのを認められなかった 記憶が蘇り、軽く錯乱状態になってしまったので、第二志望の工業高校へ行くことにした。

 

 高校入試にギリギリ合格して工業高校へ入学してみると、普通科(小中)と違ってとても居心地がよかった。

 主要5教科と言われていた国社数理英は「」ではなく一般教養程度しか学ばない。

 専門学科が複数あり、得意な科に入ることが出来れば学習障害(LD/SLD)持ちの私にとって分かる科目が半分くらいあった。(発達障害を持っていると、人により得意不得意というより、聞いて分かるor聞いても分からないレベルで理解できないことがあります)

 

 人間関係も男子が多くて人付き合いが少ない。嫌がらせをするような人もいなくて、数少ない女子友達と男子友達が出来て、話の輪に入れずぼーっとしていても受け入れられるような生きやすい環境だった。

 特に親しい友人に希死念慮で時々鬱々としていることがあるけど、気にしないで放っておいてほしいことを伝えた。

 

 学校の先生は一般企業に勤めたことがある人もいて、気さくな先生が多くて職員室で雑談することもあった。

 

 実業高校は進学校ではないので、普通科の授業が少ない。氷河期世代と言われるくらい三流大学(Fラン)に入ると就職が難しい時代だったので、高校卒業後は迷わず就職した。

 

住んでる場所によりますが、「昔ながらの」農業で生活をしていくことが不可能な土地に住んでいます。

 農家は人付き合いが重要で、自営のため、収支の計算や肥料や農薬の科学的な知識、植物や病害虫など生物の知識も必要で、専業農家になる能力も土地もなく、兼業農家は気軽に休める会社に勤めないと農業が出来ません。

 趣味程度の事しかできなくて、ちょっと知りたい程度の気持ちだったので、農業高校に行かなくても人生に影響するほどの事ではありませんでした。